【☆オケ座談会】オペラ「ジャンニ・スキッキ」特別企画 第4回
第4回 私の好きな・気になるこのシーン
係員A(以下A) ついにこの座談会も最後になりました。今回は、『ジャンニ・スキッキ』(以下、『ジャンニ』と略すことがあります)の好きなシーンや気になる音楽について、ざっくばらんに語っていきましょうか。まず、Cさんはこのオペラのどんなところが気になりますか?
係員C(以下C) いかにもプッチーニというような華麗な音楽がある一方で、おかしな響きの箇所、おそらく不協和音といってよいのかもしれませんが、心地よくない響きの箇所が多数登場するところですね。
係員B(以下B) 華麗な音楽で代表的なのは、ラウレッタの「私のお父さん」や、リヌッチョの「フィレンツェの花咲く木のように」に登場する「スキッキ家のモチーフ」に関連する音楽や、「リヌッチョとラウレッタの愛のモチーフ」に関連する音楽、ということになると思うんだけど、おかしな響き、心地よくない響きというのはどういう場面やモチーフだろう?
C 例えば、いまBさんが言及した「私のお父さん」ですが、歌いだしの直前にしっかり金管が不協和音を奏でているんですよね。ジャンニ・スキッキとドナーティ家の親戚たちの対立が頂点に達する瞬間をこの不協和音が演出しているようで、いつもさすがプッチーニとニヤリとしてしまうポイントです。また、モチーフでいうと「遺産分割のモチーフ」なんかが典型的ですね。「遺産分割=混乱を招くもの」という話はすでにこの座談会で出てきましたが、ブォーゾの親族たちが欲しいものをいいあうシーンは、管楽器が順に奏でる「遺産分割のモチーフ」が怪しい響きを醸し出していて、決してかみ合うことのない各々の希望を暗に示しているようで非常に面白いと感じています。
B その「遺産分割のモチーフ」に関連して、このモチーフはオペラの最後で親戚たちが家の中にある「残り物の財産」を奪って逃げるところでも登場しますが、私はこの場面が大好きなんですよ。
A そういう意見は、珍しいというか面白い観点ですが、どういう理由でしょうか?
B このオペラではドナーティ家の親戚たちは、あまり良い描かれ方はしてないんですが(笑)、これは彼らがご先祖様から引き継いだ遺産を守っていくだけの保守的な姿勢で生きているところに由来していると思うんです。ステレオタイプな見方かもしれませんが、現代でもご先祖様の遺産や親の七光りだけで生きている人っていうのはあまり魅力的には見えないですよね。そうした意味で、この「強奪のシーン」というのは、遺産を失ったブオーゾ家の人たちが初めてポジティブな気持ちで前に進みだすシーンという見方もできると思うんですよ。「失って初めて大事なことに気が付く」みたいな感じで。
C そのポジティブさの表現が「強奪」というのは問題ではないですかね(苦笑)。
A まあ、そこは舞台の話なのでいろいろな解釈があってよいのではないですかね!話を「おかしな響き」に戻しますと、スピネロッチョ先生(医者)が登場するあたりでもおかしな響きのメロディーが続きますよね。
C そこのシーンもとても面白いよね。ジャンニ・スキッキがブオーゾの声色を真似て、すでに死んでしまったブオーゾがさも生きているかのように一芝居うつんですが、触れただけで壊れてしまうような場の緊張感が醸し出されているような気がするよね。
A そのシーン、実は別の観点で気になっているシーンです。前々回の座談会で、「ぬか喜びのシーン」が『トスカ』と似ているという指摘がありましたが、この医者が登場するシーンは、同じくプッチーニの『ラ・ボエーム』に似てるんです。
B 『ラ・ボエーム』のどのシーンだろう?
A 『ラ・ボエーム』の第4幕の最後の最後、結核にかかった主人公のミミが死んでしまうシーンです。低音の響きの上に柔らかいメロディーが流れるのですが、低音の響きがあたかも人の温もり・体温を表していて、それがなくなってしまうと人が死んでしまう、、、そんな危うさと温かみが同居しているシーンに感じます。『ジャンニ』のこの診察のシーンに差し掛かるといつも『ラ・ボエーム』のここの箇所を思い出してしまうんです。
B どちらも人が「死にそうな」シーンには変わりないんだけど、『ジャンニ』ではあくまで「死にそうな」人を演じているだけですよね。前々回の座談会で「表の顔と腹の中」が違うことに着目することが大事という話をしましたけど、このシーンは「死にそうな」ことは嘘なんだけれど、音楽は全力で「死にそうな」ことが真実であるかのように表現している、そういうシーンかもしれませんね。
A 『トスカ』との比較でも感じたことですけど、同じ作曲家の作品を経験すると、共通点などいろいろ気が付いて面白いですね!ところで、他に気になるシーンや音楽はどんなところがありますか?
B 実は、リヌッチョの「フィレンツェの花咲く木のように」がずっと気になっています。
C これはまたBさんにしてはベタですね(笑)。
B そうかもしれないけど、この歌は思ったよりも深いものがある気がするんです。そもそも、イタリアオペラのテノールのアリアというと、ほぼ例外なく「ヒロインへの愛のメッセージ」のアリアが一番最初にくると思うんです。ところがこのオペラについていえばラウレッタへの愛情表現や、ラウレッタを讃えるような詞がまったく出てこない。
A 確かに私達が経験したイタリアオペラであるヴェルディの『椿姫』、プッチーニの『ラ・ボエーム』『トスカ』のテノールのアリアは、基本的には愛情表現の歌が最初にありますね。では『ジャンニ』のリヌッチョの歌は何なのでしょう?
B 内容的には「フィレンツェの素晴らしい科学や芸術といった文化は、フィレンツェの外から来た人たちの力によって作られた、だからフィレンツェの人間である僕らもジャンニ・スキッキを受け入れよう」という親族を説得する歌なんです。説得の歌がこれだけ人の心を高揚させるニュアンスを持っているというのは、オペラではなかなか革命的だと思いませんか?(笑)。ただこれだけにとどまらず、この歌にこそプッチーニがこのオペラに込めた思いがあるように感じるんです。
A といいますと?
B 座談会をするということでこの曲を細かく見ていったときに面白いことに気が付いたんですが、オペラの最後の最後にどんなモチーフが登場するかご存知ですか?実は、このアリアに登場するモチーフが最後の最後で登場するんです。
C 最後というとジャンニの後口上ですよね。
B はい。その中で、「偉大なるダンテの許しを得て」というようなセリフがあって、ここで「フィレンツェの花咲く木のように」の中で、フィレンツェの文化を創った偉人を紹介するときのモチーフが流れるんです。最後に登場するものが一番大事という短絡的なことをいうつもりはないんですが、やはりダンテを含む「フィレンツェの偉人」に当てられたモチーフがアリアの肝で使われているのは大きな意味があると思うんです。素晴らしい文化というものは先人の創造の積み重ねのもとに成立しているのは間違いのないところですけど、プッチーニはこのオペラにこうした先人たちの残した「遺産」への尊敬の気持ちを込めているような気がします。
C つまり、劇中のブオーゾ・ドナーティの「遺産」と、プッチーニが作曲家として受け取った「遺産」を掛けているわけですね。
B その通り!
A おぉっ!いい感じで最後にまとまりましたね(笑)。ここまで、Bさん、Cさん、私とで、あくまでアマチュアの立場からですが、本当にざっくばらんに語り合ってきて、いろいろな興味深い話を出せてきたと感じます。あとは本番の演奏で、プッチーニが作り上げた世界を、聴きに来てくださるお客様と共有できるとよいですね。
ここまで読んでくださった皆様、2020年1月11日(土)杉並公会堂で18時開演です。オーケストラのメンバー一同、皆様のご来場をお待ちしています!
(End)