【☆オケ座談会】カヴァレリア・ルスティカーナからベートーヴェン・チクルスへ 第2回
ベートーヴェン・チクルスについて
山本 では,次回演奏会から始まる☆オケとしては二週目になるベートーヴェン・チクルスに話を移してみたいと思います。宮崎さんは今回もチクルスで多くの曲を指揮することになるかと思いますが,チクルスについてどんなことを考えていますか?
宮崎 先ほどの☆オケの総会でもお話したのですが,作曲したベートーヴェンに対して共感するというプロセスを大事にしたいと考えています。共感するというのは,ベートーヴェンがなぜこういう曲を創ったのかということを想像,探求したいということです。
これは,自分への反省でもあるのですが,そもそもオーケストラは,各奏者が目の前の楽譜に書いてあることを音にすれば,全体としては多彩な音楽がでてくるので,一緒に集まって演奏するだけで十分に楽しめます。しかし,オーケストラの音楽の本当の意味での出発点は,スコアという言葉の書かれていない「謎の書物」の存在です。各奏者の目の前にあるパート譜はパーツ(部分)でしかありません。20代の時を振り返ると,目の前のパーツばかりに気を取られて,この「謎の書物」を読み解いていこうという探求心が十分に足りていなかったと感じます。
山本 先ほどのオペラ話でも,ストーリー(全体)を意識してその場面(部分)でどう演奏していくかという話がありました。リンクするところがありそうですね。
宮崎 はい。そういう面はあると思います。私は放送局のディレクターという仕事の関係で,様々な音楽家の方に接する機会があります。仕事を進める中で,一流とされる音楽家に限って,そうした探求心や,作曲家への共感を通じた音楽作り,いってみれば音楽作りの精神的な側面で勝負していると感じることが多々あります。
わかりやすく具体例を出しますと,楽器の練習では,初めは先生の要求どおりに弾けるようになることが目標になります。では,先生の要求通りに弾けるようになった後はどうするか。そこで,自分は何に拠って立って演奏していくのかという問題に直面します。まさか先生がいなくなったら演奏できません,というわけにはいかないですから。そこから先は,学校の音楽の授業ではもちろん,音大でもカリキュラムとして教えてもらえることはありません。自分の人生経験という引出しを駆使して「謎の書物」を読み解いて,作曲家に共感できるかが勝負のしどころということになるかと思います。
山本 われわれのようなアマチュアのメンバーに,プロの音楽家でも問題になるような精神的な側面での音楽作りができるでしょうか。
宮崎 そうですね,20代の私が「謎の書物」に向き合えなかったように,☆オケのメンバー含めたほとんどのアマチュアの音楽愛好家にとってハードルの高い話だとは感じます。しかし,☆オケも創設から20年以上経って,平均年齢も30歳を超えています。それぞれのメンバーがその人なりの人生経験を積んで,それぞれの引出しを持つに至っているはずです。ベートーヴェンのスコアに向かい合って,彼がどんなことを考えてこの曲を構成していったか,自分の経験に照らし合わせて感じ,想像していけばよいのではないでしょうか。
彼は交響曲を1曲作曲するたびに,新しい扉を開いていったという稀有な作曲家です。そして,彼がいなければブラームス,ワーグナー,マーラーといった後に続くあらゆる作曲家が存在しなかったといわれています。それほど偉大な作曲家です。団員全員がそれぞれの人生経験に照らし合わせて,彼の開いた新しい扉を楽しんでいければ最高ですね。
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