トークコーナー

【☆オケ座談会】オペラ「ジャンニ・スキッキ」特別企画 第2回

第2回 表の顔と腹の中(表面と真実の乖離)


係員A(以下A) 『ロミオとジュリエット』(以下『ロミジュリ』と略すことがあります)はシェイクスピアの演劇を元にした曲ですが、ストーリーと音楽が密接に結びついた曲というよりかは、チャイコフスキーがシェイクスピアの劇に魅せられて、そこから得たインスピレーションをもとに作曲した純粋な音楽といえそうだよね。これに対して、『ジャンニ・スキッキ』(以下『ジャンニ』と略すことがあります)はオペラということで、ストーリーと音楽が結びついている点が特徴です。だから『ジャンニ』をまず中心に見ていきましょう。
 『ジャンニ』は1時間弱の短いオペラだけど、形式面で特徴的なのは、歌手のアリアが、リヌッチョの「フィレンツェは花咲く木のように」と、ラウレッタの「私のお父さん」のたった2曲しかないということだね。その意味で、このオペラは演劇的要素の強いオペラといわれていますよね。
係員B(以下B) 演劇といえば、日本で20年以上に渡って「子どものためのシェイクスピア」というシリーズの台本制作や演出をしていた山崎清介氏が興味深いことをいっていました。『ロミジュリ』に関する発言ということもあって是非ともここで紹介したいんだけど・・・・。
 山崎氏がこの「子どものためのシェイクスピア」シリーズの初回に役者として『ロミジュリ』に出演し、著名な演出家から言われたことだそうなのだけど、
『ロミオとジュリエット』で、僕(=山崎清介氏)がジュリエットの父親役をやったときのこと。最後にロミオとジュリエットが死んで、いがみ合っていた両家の父親同士が仲直りする。その仲直りの台詞について、演出家が「ヤマはこの父親の台詞をどう思う?」と聞くから、できればカットして欲しいなと腹の中で思いながら、「相手の息子のせいで娘が死んじゃうんですから、仲直りの台詞なんて言えないですよ」といったら、「だったら仲直りなんかしたくないという気持ちで言ってください。その気持ちは観客に伝わるから」
と言われたそうなんです。
 山崎氏はその言葉を聞いて非常に勉強になったというか、強く感じるものがあったらしく、、、つまり、僕がここで言いたいのは、台詞のような「表面」には真実がないことがある、表面と真実の乖離に着目することが重要なのではないか、ということなんだ。

A それと今回の『ジャンニ』はどうつながるの?
B まず一番はじめに思いつくのは、オペラの冒頭で、ドナーティの親戚たちが登場するところだね。
係員C(以下C) ブォーゾ・ドナーティが死んでしまって、親戚たちが泣きながら登場するシーン
B そう。彼らはブォーゾ・ドナーティが死んでしまっているので「可哀そうなブォーゾ」とか「哀れな伯父さん」とか「毎日泣き暮らす」とかいろいろ言っているんだけど、腹の中では、待ちにまったイベントがついにやってきた、自分に莫大な遺産が入るかも、とか思いながらいそいそやってくるわけだよね(笑)ここは表の顔と腹の中が乖離している典型的な場所ですね
C その後、「ブォーゾ・ドナーティが遺産を修道院に寄付する」という噂のことで皆が不安な気持ちになっていきますよね~
B そうそう、そこは面白いところじゃない?今まで顔は泣いて心はウキウキだったのが、その噂を耳にすると、心の中は期待と不安が交錯した複雑な状態になる(笑)
A すでにマエストロからも練習中に指摘を受けたりしていますけれども、こうしたストーリーの進行、舞台の人物の心の機微を意識して演奏するのとしないのとでは、私たちからでてくる音楽も自ずと違ってくるでしょうし、お客さんに伝わるものも違ってきそうだよね!ほかにそういった箇所ってあるかな?

B 表の顔と腹の中が違う、つまりは、表面と真実が乖離している箇所として、オペラの終盤で、ドナーティの親戚たちの女性陣が、ジャンニ・スキッキの計画で自分たちの遺産の取り分は守られる、しめしめ、というシーンがあるんだけどわかるかな?ここは、このオペラの中で一番ロマンティックで幻想的な音楽が流れている箇所だと思うんだけど、実はもっとも怖い箇所でもあるといえると思うんだ。
A どういうこと・・・?
B ドナーティ家の親戚のたちは、計画がうまくいくと思っているから、もう頭の中がお花畑で「すべてがうまくいく」「夢のようね」「ジャンニ・スキッキは私たちの救い主」とか言っていて、ジャンニ・スキッキも「みんなのために」「満足させましょう」とか答えているよね。だけど実際のところ、ジャンニ・スキッキはドナーティ家の親戚たちにはろくに遺産を渡さないことを計画しているから、水面下では恐ろしい事態が進行しているんだ。ここも、音楽や台詞に真実があらわれていない典型的シーンだね!
C そういえば、プッチーニはそういうのを好んで作品に取り入れてるんじゃないかな~。僕らも昔(2007年の第24回定期演奏会)演奏したことのある同じくプッチーニ作曲のオペラ『トスカ』では、トスカの恋人カヴァラドッシを偽の銃殺刑で死んだことにして、トスカと恋人カヴァラドッシが逃げ落ちる算段になっている場面があったよね。ここでトスカとカヴァラドッシが二人の未来を歌うロマンティックな名シーン!しかし、このシーンでも、カヴァラドッシは実は水面下ではきちんと銃殺されることになっていて、トスカとカヴァラドッシは「ぬか喜び」に終わってしまう!
B Cさん、さすがよく気が付くね!『ジャンニ』のこのシーンも「ぬか喜び」といわせてもらいますが、音楽だけ純粋に取り出すと、もう恋人同士の愛の喜びの音楽として歌ってもまったく問題ないくらいだと感じます。実際、台詞の中には「さあ、ベッドへ」なんて言葉もありますし・・・(ニヤリ)
A Bさん!その話は、この辺で止めておこう・・・!せっかくのいいお話も掲載できなくなっちゃうよ(笑)大事なのは、プッチーニがこのシーンにロマンティックで幻想的な音楽をもってきた意図を十分に理解して我々が演奏することですよね。
 では今回はこの辺にして、次回はプッチーニではおなじみのライト・モチーフに着目して音楽をより分析的にみていくことにしましょう。

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